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職人紹介

「なくなりはしないね」~ 高木清一は語る

箒職人頭、高木清一。 昭和11年3月11日生まれ。
同じく箒職人であった父の姿を見て育ち、中学生の頃には「仕方なしに」箒作りを手伝っていたという。箒をつくり始めてから(職人暦)50年経った現在、「今では両親に感謝している」と笑う。

「勉強の中」「思う通りにいかないねぇ」と、いまだ箒造りへの向上心・探究心を失わない高木。このように語る高木の手によって造り上げられた「江戸箒」は単なる掃除道具として片付けられない、ひとつの「芸術作品」の域に達しているといえよう。

しかし、「江戸箒」を「芸術品」として扱うことには抵抗がある、という。「使われてナンボ」・「消耗品だから」とあくまで「生活に根ざした道具(モノ)だから」とも主張する。「だからといって粗末に扱ってほしくない。丁寧に扱ってほしい。長持ちもするしね」と穏やかな、けれども毅然とした表情で語る高木の言葉は、職人としての「誇り」と、一人の人間としての「高木清一」を示すものとして、大きな説得力をもっている。

さまざまなメディアで取材される身でありながら、「何度やってもあがちゃって・・・だめだねぇ」と照れくさそうに笑う「やさしさ」と、50年(半世紀)ものあいだ培ってきた職人としての「きびしさ」。その相反する「やさしさ/きびしさ」が、そのまま「江戸箒」に反映され、「芸術品/日用品」という相反する要素をもった「江戸箒」を生み出していく秘密となっている。

「自分でつくっていくもの」「教えられたことだけやっているのではだめ」ーこれは高木さんにとっての職人像とはなんですか、との問いに対する答えだが、これはどんなジャンルの仕事でも「プロ」としてやっていくための条件として、そのままあてはまる言葉ではないだろうか。

「僕は不器用でねぇ」という高木だからこそ、自分で考え、工夫し、箒を作ってきた。「みようみまねだった」ともいう。確かに「手取り足取り」教えられ、また器用であれば、すぐに「箒」はできたかもしれない。また時間も手間もかけずに済んだかもしれない。だが、一見無駄かもしれないその「手間ひま」が「からだ」で「仕事」を覚えさせることになり、また「不器用さ」が「自分で考え」、「工夫する」土壌をつくりあげているのだとしたら、その「不器用さ」もまた「才能」だったのではなかろうか。

「お客さま個人個人の要望に応じた箒をつくってみたい」と高木はいう。いわば「オーダーメイドの箒」。弟子の成長を待って、いつか試してみたいと照れくさそうに語る。

「職人」、もしくは「江戸箒」は今後も続いていくのでしょうか、との少し意地悪な質問に、高木は、「減ってくるだろうけど・・そうだねぇ・・なくなりはしないと思うよ」とまたも照れくさそうに笑った。